藤原(ふじわら)氏は日本の古代から近世までの貴族
天児屋命を祖と伝える。平安時代は、本姓の藤原を称するが、鎌倉時代以降は、姓の藤原ではなく、家名(苗字に相当)である近衛、鷹司、九条、二条、一条などを名のり、公式文書以外では藤原とは名のらない。中臣鎌足が大化の改新の功により天智天皇より賜った「藤原」を氏・本姓とする氏族である。源・平・藤・橘のいわゆる四姓の一つであり、藤原氏はその筆頭名門氏族であり、藤氏(とうし)とも略称した。藤原の姓は当初は死を目前とした鎌足に与えられ、鎌足の死後、中臣氏を率いた右大臣中臣金が壬申の乱で処刑された事もあって、乱とは無関係の鎌足流も一時衰亡の危機を迎えた。その後、天武天皇の時代に八色の姓が定められた折に藤原朝臣の範囲を定めたが、その際不比等がまだ若かった事もあって鎌足の従兄弟で娘婿でもあった中臣意美麻呂が不比等が成長するまでの中継ぎとして暫定的に氏上となったらしく、それ以外の成員にも不比等が成長するまで暫定的に藤原朝臣が与えられた。
update:2009年09月06日
